一円募金の市民運動で建設された米子市公会堂

■米子市公会堂は、1958年(昭和33年)に山陰一の文化の殿堂として建設されました。「一世帯が毎日一円を貯めて公会堂を」と呼びかけ、一円募金運動が展開されました。当時の米子市では準赤字再建団体でした。結成されたばかりの自治連合会が建設推進運動をおこし、建設費1億7600万円のうち3000万円の寄付が集まり、市民の熱い思いが結集されました。

■設計は日本を代表する建築家村野藤吾氏に依頼。快諾された村野氏は市民の熱い思いに感動され、設計料を返上、寄付してくださったと聞いています。

■完成22年後(1980年)に大改修されました。冷暖房が入り、楽屋ができ、反響板の設置などホールとしての機能が大きく改善されました。公会堂の建設は、多くの文化サークルや団体を生み、活動を活発にさせてきました。

「公共建築百選」に選定された文化財的価値の高いホール

■日本を代表する建築家である村野藤吾氏が、美しい旋律を奏でるグランドピアノをモチーフに設計した米子市公会堂は、平成10年には国の「公共建築百選」にも選定された文化財的価値の高いホールでもあります。米子市のシンボル、文化の殿堂であると同時に、遠方からも見学者が訪れる名建築なのです。米子市公会堂は、市民が守らなければならない貴重な財産です。

鳥取県西部の文化・芸術・社会教育活動、地域活性化に欠かせない拠点

■米子市公会堂は50年にわたり、市民はもとより、鳥取県西部の芸術・文化・社会教育の拠点として大きな役割を果たしてきました。公会堂はホールとしての評価も高く、人と文化芸術を育ててきました。利用率の高さがこれらのことを証明しています。使用停止により、利用団体は事業中止、市外、県外への移動開催など混乱と窮地に追い込まれています。

■米子市には公会堂(1127名)、文化ホール(672名)、淀江文化センター(558名)、コンベンションセンター(大ホール2004名、小ホール300名)があり、それぞれ役割を果たしています。しかし1200名規模の音楽・演劇等の公演可能なホールは公会堂以外になく、必要不可欠なホールです。

■コンベンションセンターではダメなの?
コンベンションセンターはもともと音楽・演劇用のホールではありません。座席が可動式のために座席下は空洞となっていて、クラシックなど生の音は抜けてしまいます。また、舞台袖がなく天井の吊バトンもないため演劇公演も難しいのです。学会や講演会をするにはとてもいいホールですので振替可能な催し物もありますが、大勢の出演者が出る吹奏楽やオーケストラ、マイクを使わない演劇公演などやはり公会堂でなくてはできない催しがあります。

■米子市文化ホールではダメなの?
米子市文化ホールは、音楽・演劇ホールですが、客席数が672席です。催しによっては、採算入場者数が800名や1000名という場合があり、それを下回る客席数では採算がとれません。また、文化ホールは非常に人気のホールで、稼働率が62.4%(19年度)、市民参加の催し物が多い土日・祝日は100%に近い稼動になっています。公会堂が使用できない場合、文化ホールに移りたくても移れない状況があります。

適切な改修、補強すれば現役であり続けるホール

■耐震強度調査の結果、コンクリートの劣化は進んでおらず、適切な改修、補強によって建物を使い続けることは可能であるという専門家の意見もあります。市民が今後も愛着を持って使い続けられるように適切な補強と改修を一日も早く実現しましょう。

■文化活動の拠点のひとつを失うということは、単に利用団体の活動の場がなくなるだけでは終わりません。公会堂によって育まれてきたさまざまなものを衰退に導くだけでなく、先人によって作られた薫り高い文化とそれを取り巻くものを、次の世代の人たちから私たちが奪っていくことになります。

外部リンク

  1. 米子市公会堂−公式ホームページ
  2. Architecture Everyday!! + Fujiken−米子高専の建築史家・藤木先生のブログ
  3. ドはドングリのド−米子市公会堂の存廃問題をまとめたコースケのブログ
  4. Double Espresso−米子市公会堂の存廃問題をまとめたlancistaさんのブログ